でぃーぷ・ひるます VOL.6

でぃーぷ・ひるます

「呪怨」リローデッド!  04.2.27

深夜映画の友のコーナーで、呪怨Vシネマ版を失敗作と書いた。
でわ、具体的にVシネ版のどこがダメなのか?!具体的に解説しつつ、例によって言いっぱなしでは失礼なので、「リメイク」を試みる。ハリウッド版リメイクより面白ければしめたものだ!
以下、ネタバレにつき、ご注意ください。

まず Vシネ版「1」の出だし、
「俊雄」ですが、これはまあ、オープニングですから、なんの問題もないでしょう。
つづいて「由紀」。
これはいい。
というか、これが呪怨でしょう。
ようするに、なんとなく怪現象がおこり、カヤコの世界にひきこまれて消えてしまう、と。
つづいての「瑞穂」ちゃん。
これもいいでしょう。
映画版でいえば、伊東美咲のエピソードに相当するんでしょうね。ちらっと家に入ったり、その家族にかかわった人が(その家にはいないのに)しつこく追い掛けられて、けっきょく引っ張りこまれると、そういう系のエピソードですよね。

ところでここで問題なのは、ツヨシくんの行方不明問題です。
次の「カンナ」にも関係するんだけど、解説やコメンタリーによると、このツヨシ・カンナの村上兄妹のエピソードは、「学校の怪談G」での短編で描かれていて、呪怨ではその前後関係しか描かれていないのだという。
監督はコメンタリーで「実はあれは呪怨の一部だったんです」と言ってるが、そうなのだろうか。
監督がそうだから、そうに決まっているのだが、続いて描かれるカンナのエピソードは、ゾンビ化したカンナが家に帰ってきて、母親が絶叫するだけというもの。
う〜ん、これ、呪怨なんでしょうか。
むしろ、ここは「まだ学校の怪談なところ」なんじゃないでしょうか。
つまり、カヤコの呪い・恨みの発現の仕方として、こういうゾンビ化というのが、そぐわない感じがする。それをはっきり言うには、カヤコの呪いの発現って、それじゃ〜なんなんだ?ってことをはっきりさせておかなくてはならない。

それはVシネ版2と、映画版、それからノベライズを参照するとはっきりすると思うが、次のようなものである。

1,まず、若い女子を「霊界」に引きづり込む。女子は単に殺されるということではなく、霊界(というかカヤコの精神世界?)において、自らが「カヤコ」と化す。そして、カヤコ本人が味わった凄惨な体験(小林くんに対するストーカー的な心の地獄と、夫のサエキによる虐待)を追体験する。この「苦痛」がカヤコの呪いのエネルギーと化し、さらに次のカヤコを引き込んでいく…という循環的というか、悪循環的な、拡大再生産の構造になっているようだ。

とすると、男子に対する呪いというのはどうなるのか?、男子がカヤコ化するというのは、あまり想像したくないが(笑)、基本的には、

2,男子には現世における徹底的な恐怖を与えることで、生殺し的な状況にする、という方法をとるようだ。これは映画版での元刑事・遠山のエピソード、そしてVシネ版2のでんでん演じる刑事のエピソードね。とにかく怖がり、人事不省 に陥るというパターン。ただし映画版「カツヤ」のエピソードでは、男子が「カヤコ」化ならぬ「サエキ」化するかのごとき場面がある。これは男子の場合の別パターンとして「あり」でしょうね。納得できる形だ。これがカヤコの霊によるものなのか、サエキの霊とでもいうべきものがやってるのかは分からないが。というか、そんなことは問題にならず、ようするに「現象」として納得がいくかどうかの問題だ。まさに「心霊の現象学」なんちてね(笑)

と、整理してみると、村上兄妹のエピソードは、かなりヘンでしよう。カンナのエピソードは恐怖映画として、最高級に「いい」出来なので、ついつい納得してみてしまうが、呪怨というもののコトワリから見るとかなりズレてる。だからこれは「学校の怪談」だというわけだ。

単純にいって、ここは「男女」が逆になってるわけだ(失踪するのが兄でなくて妹でないとヘン)。というわけで、もしリメイクするなら、次のようになるだろう。
まず、ウサギ小屋で残殺されるのが、妹の友だちではなくて、この兄にする。生殺しというセンからは外れるが、妹にカヤコが乗り移って兄を殺すという設定なら、兄に対して精神的な苦痛を与えられるし、即死でなければなおさらだろう。で、兄としても反撃をして、妹のあごにダメージを与え、ほとんどゾンビ化しつつもカンナは、カヤコに憑依されているためにそのまま歩いて家にもどる。これでカンナのエピソードにそのままつなげられるわけだ。

とりあえず兄はカンナからのケータイでウサギ小屋に呼び出され、そこで殺される。そのため瑞穂とは行き違いになるので、瑞穂のエピソードもそのまま「イキ」にすることができる。

ちなみにカンナのエピソードでは、カンナがウサギ小屋にでかけて帰ってくるという短時間の間に、なんと警察の検死が終わっているというありえない時間設定になっている。ここは単純に脚本ミスだよな〜。

なんてことを言ってると、えんえん終わらないので先へ急ぐが、続いてVシネ版は、「俊雄」の続き、「カヤコ」の章へと進む。ここでは、呪怨のそもそもの発端が描かれるわけだが、はっきり言ってここ、心霊ホラーではなくて、サイコホラーです。だからダメというんではなくて、ここが大事なとこという意味で。ネットでみてたら、誰かが「超能力者が幽霊になったらどうなるか?というのが貞子だったが、キ○ガイが幽霊になったらどうなるか、というのがカヤコだ」と書いてたが、まさに名言。そういう意味でもここは、サイコ(つまり キ○ガイ)ホラーとしてのカヤコをしっかりと描いている。

そしてあの「階段降り」へとクライマックスが盛り上がっていくわけだけど、ここらへん、カヤコは実は生きていても話としては成り立つ、という微妙さが私は非常に好きである。つまりカヤコはぎりぎり生きていて、小林くんに出会えて、階段から降りてきた時点でほんとうに絶命したと。だから、玄関側から出てくるカヤコ(明らかに霊)というのは、コトワリとしてうまく出来ているわけですよね〜。問題はそのあと、小林一家を襲撃したサエキが路上でカヤコの霊に襲われる。これ、先のルール2、男子はひたすら恐怖を味わう、ということの、原型ではありますよね。以下の男子に対する恐怖攻撃は、すべてこれを再現したものと考えればいい。一瞬、ここは、「え?サエキを殺しちゃったら、恨みが晴れちゃうじゃん!」と思ったのだが、それはあさはかというもの。基本的にカヤコの恨みって、サエキ本人に対するものではない。なんていうか、あえて言えば、うまく行かないこの世のすべて、とでもいったものに対する恨みでしょうね。そんなわけで、ここはオッケーです。

つづいて問題の不動産屋編。

Vシネ版 1では思わせぶりに途中で終わってるのですが、ここまでは完全にオッケーですね。
問題はその後。まずのっけからVシネ版2の新エピソード部分では、不動産屋の息子が部屋でテレビ観てる場面。これがダメです。ビデオのノイズをかぶせてるのですが、これは全然怖くない。リンチが「ツインピークス映画版」でこの手を使ってひんしゅくでした。

さらにここから話は借りた家の人と不動産屋の話に分裂していくわけだけど、どうして今までや映画版のように話をわけて、並行的に描くということをしなかったのか、不思議というか残念。なんか、緊迫感がそがれる感じなんだよな〜って、それはともかく。

不動産屋の妹で、プチ霊能者の響子。
この人のエピソードがいまいち理解できないところです。
まず不動産屋、なぜか離婚して息子を引き取った上に、慰謝料まで払ってるという。う〜ん、どんな悪いことしたんだ(笑)。不動産屋に勤めてる元ワンギャルの女子社員とどうかなったようすもないし…。しかも「いわく付きの家」を妹に調べてくれといっておきながら、自分はしっかりもうひとつの「いわく付きの家」つまり元・小林のマンションに入ってるし。これもつかまされちゃって、入り手がなくて、しょうがなく自分で入ったとしたら、相当ドジな不動産屋だ。

それはともかくとして…(そればっかりみたいだが)ここはかなりいろんな問題が錯綜するところです。
まず響子、この呪の家と小林家の過去の事件を調べ上げてしまいます。友だちの佐藤という人が調べてくれるんだけど、いったい佐藤といい、響子といい、何者なのか?
で、元小林家に乗り込む響子。ここで響子は、サエキによる小林の妻殺しの現場を幻視する…のだけど、これって問題だよな。というのも、響子って、霊能者って設定でしょう。と、すると、ここで響子が観ているのは、自分の「霊能」によって、過去にこの部屋であった出来事を観ている(サイコメトラーですね)のではないか?
すると、この先、響子が廃人になる理由がわからないんだよな〜。ここは脚本的に話を急ぎ過ぎてるんだよ。
つまり、ここでは響子は「それ」を自分の霊能で観ているだけで、まだ精神的におかしくなるところまではいかない。あとワンクッション要るとこですよね。
幻視の中で、響子をふりかえったサエキが響子に襲いかかり、それがそのままウラハラに、響子がカヤコ化した、というところに持っていきたいのはわかるのだが…。
実際、このあと廃人と化した響子が、カヤコになっているシーンがあり、また同時に不動産屋から家を買った夫婦(北田夫妻)のエピソードでも、最終的に、妻がカヤコ化します。
この両方とも、エピソードとしてはかなり怖い。とくに古い民家での響子の変容と老夫婦の狂気の様子は、これまでにない「日本的怪異」を映像化している。歴史に残る名シーン。それにしても、ここで話としては不動産屋と老夫婦が「狂変死」すればいいわけで、彼女らがカヤコ化したというのは、余計な「説明」のような気がする。 普通の人が「お岩」になったなんてのは、怪談の定番で、だからといって、その人が「お岩そのもの」になるわけじゃないでしょう。伊右衛門にそう見えたというだけのことで。そう見えたという怖がらせ方の一つの手として使えばいいところで、余計な説明が入るんだよな〜。
続いての刑事・神尾のエピソードでそのことがさらにはっきりするんだけど、このエピソードでは、人事不省 に陥った刑事が、その家を隠し撮りしていて、その写真をみたら、その家の妻がカヤコそっくりになっていた…なんてのがある。う〜ん、しかしだ。それって単なる「説明」でしかない。まさに外側から観てるだけっていうか?

結局、この神尾のエピソードは、人がカヤコ化するってことを言いたいだけだったのだろう(写真を燃やすエピソードによる)。ぜんぜん怖くないのだ。でんでん扮する元刑事が天井にカヤコの「映像」を見るところなんて最低。神尾が恐怖でにげまどうところも、ほとんど怖がらせる要素はない。コメンタリーによると、最初は神尾が警察内のベンチの下に引き込まれるという落ちがあったらしいのだが、技術的な問題でカッとしたという。しなくてよかった。それをやってたら、またルール1に違反してしまうところだった。男子は引き込まれずに、現世で苦しむか、殺されるかしなくてはならないのだ…。

話がそれたが、結局、Vシネ版 2ではいきなり、話の展開がすべて「呪われた女子がカヤコ化する」というところに強引にもっていく構成になっている。それがなにを目ざしているのかといえば、すでにご覧の方はお分かりのように、最後のエピソードにもってきたいわけよね。つまり不動産屋の息子(ノブユキ)が学校でカヤコに襲われるエピソード。ここでカヤコが何人も登場して、怖さをあおるのだけど、それがぜんぜん怖くない。やっぱりカヤコがいっぱい増えた---いわゆる「呪いの増殖」ということを説明したいのだな、と思うだけで、もうそれは「説明」聞いてるだけのことだよね。その落ちにもってくためのいままでの「カヤコ化」だったのかよ、と思うと、いままでの怖さもふきとぶしらけぶりだ。
ようするに、女子への呪は「カヤコ化」だと言ったけど、それはあくまで「呪われた本人」がカヤコの悲惨な体験と感情を追体験する(それはおそらく永遠の地獄として体験され続ける)ということが恐ろしいのだ。つまり内的な体験だから、恐ろしい。しかし、外側から人が「カヤコ」になったのを「観察」しても、それはただ「形相」の恐ろしさでしかない。Vシネ版は、ようするに「恐怖」の捕らえ方として、そういうところに落ち着き、しかも、ご丁寧にもそれを「映像」で「説明」してみせてしまったという、大失敗作なわけ。

ただし、このラスト、カヤコがいっぱい、のシーンはそういう説明なしみれば、十分に「怖い」。だから、ふん、つまらん、と言ってすますにはちょっと惜しい…ってわけで、例によってリメイクだ。

まずこの映像それ自体としては素晴らしい、学校のカヤコ増殖シーンを生かす、という前提で考えれば、どうすればいいかがおのずとハッキリしてくる。

そう、このシーンは「夢」だったということにすればいい(笑)。夢ならなんでいいか、というと、ようするに「夢って解釈」なんだよね。だから、呪われた女子が「カヤコ化」し、それが「増殖」している、というコト(解釈)を、夢の中で、映像として見る、ということであれば、十分、理にかなっているというか、むしろ説得性をもつことになるわけだ。

しかもその夢を見ているのが、不動産屋の息子というのもいい設定だ。つまり、不動産屋は、なにやら霊能者の家系として描かれているので、その血をひく彼が、そのような夢としてコトの真相をとらえる、というのはありうることだと思う。

とすると、彼は生き残ることになってしまうが、それでは呪怨にならないので、いちおう精神が破壊されたという設定で、精神病院に収容されていただく。ただし、他の人事不肖刑事などと違い、彼の場合、どこかに「実は正常なのだが、カヤコから自己を防御するために、精神の深いレベルで、精神の破たんを演じている」という部分を臭わせつつ、エンディングとなれば、今後の「呪怨5」(笑)あたりまでひっぱれる伏線にはなるでしょう。

コメンタリーによると響子役の女優が、私はまだ生きているから、また出たいといってたということだが、それはこの息子の方の役わりになるわけだ。そんなわけで、ここから逆算すると、まず響子がカヤコ化するのは不要。北田妻の場合は「カヤコ」化する部分が、ほとんど四谷怪談そのままの設定で演じられているので、ここはある意味アリか。

まず響子の方から整理してみよう。響子は単なる霊能者として、小林家の惨劇を幻視する、ということを言っておいた。この小林家自体は、いかに惨劇があったとしても、それだけのことで、呪いの家ではない。したがって、不動産屋の息子は、それだけでは「無事」なはず。おそらく、霊能の強さのゆえに、父親の無頓着さを補ってしまっているのだと思うが、ともかく、かなり精神的においつめられている。そこで、響子が心配でやってくる、ということになる。で、惨劇を幻視した後で、例の佐藤くんから、資料を見せてもらい、そういうことだったのか、と知るという方がストーリーとしても、すんなりしてるでしょう。現行のVシネ脚本ではそれが逆になっているので、ぜんぜん盛り上がらないんだよね。理由が提示された後に、すんなりとその通りの事件が起きるだけなので…。

それではじめて事の次第を知った響子ががくぜんとした、その同時間に、不動産屋が北田家を訪れる、という方が話としては盛り上がるでしょう。不動産屋をそこに向かわせたのは響子本人なのだが、その次第を知ったところで「行かせてはダメだったのだ」ということを悟り、緊迫感が沸き起こるからだ。

しかしすでに不動産屋は様子を見にそこに行き、カヤコ化した北田妻と俊雄により、人事不肖に。ここに響子登場。すでに兄がいっちゃってて、さらに北田夫の死体を発見。もちろん響子は、この場所をすでに知っているし、あの部屋にあたりもついてるので、例の屋根裏で、それを発見するわけだ。ここで再び、響子の幻視が開始。今度は舞台がサエキ家なので、当然、サエキによって虐殺されるカヤコを幻視することになるが、いつの間にか、見ているはずの自分がカヤコとなってサエキに陵辱されている。で、後日、廃人と化した響子は実家で、老夫婦に世話になっている。。。ということで、本編につながる。ここですでに不動産屋の兄は消えているので、兄なしでこのシーンが展開し、そのかわり、息子のノブユキもこの場にいる。

そこで、老夫婦の死とノブユキの「夢」がパラレルに描かれればよいわけだ。普通はエピソードを分割する清水氏が、老夫婦のエピソードと北田妻のエピソードを同時進行させたのは違和感があったが、おそらく、基本的には「何も起こらない」老夫婦のエピソードを盛り上げるためだと思われる。しかし、夢を同時に描く俺の対案の方がしっくりくるでしょう。

そして夢から覚めてみれば、すでに老夫婦は狂死。姉の響子も死んでいるが、これはノブユキが首を締めて殺した(カヤコに夢で反撃したら、現実には響子を殺していた、等)ということにすれば、さらに悲劇性がつよまるし、彼が精神病院に隔離される「理由」としてもうまく決まる。

というわけで、ラストにうまく繋がった(笑)。刑事のエピソードがないが、まあこれはいらないでしょう。

以上、リメイク案。「呪怨ゼロ」を製作する場合は、ぜひ参考にしていただきたい。


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